聖徳太子の孝養像

 聖徳太子の像は、お札にもなっていた笏を持っている有名な摂政像の他、太子が二歳の時に合掌し「南無仏」と唱えたところその手から仏舎利がこぼれ出たという伝説に基づく二歳像、太子が十六歳の時に父の用明天皇の病気平癒を祈っている姿とされる柄香炉を持った孝養像があります。

 孝養像の祈願と同様に、法隆寺に伝わる釈迦三尊像も聖徳太子を慕う人達が太子の病気平癒と助からぬ場合は苦しまず成仏する様に祈りをこめて造りました。聖徳太子は日本仏教の祖とも言える存在ですから、日本に仏教が伝来した頃には既に仏に対して病気平癒などの加持祈祷を行うことは一般的だったのだと思われます。

 聖徳太子が重視した法華経も後半は祈祷的な内容が目立ちます。もちろん祈ったところで病気が治ったりはしませんが、その気持はありがたいものです。聖徳太子もただ祈るだけではなく成人してからは施薬院や療病院などの医療福祉施設をつくり病気に苦しむ人達を救う政治を行いました。これも仏教の心が政に活かされた結果でしょう。日本には千四百年以上も前から仏教とともに人の病を癒したいという祈りが連綿と受け継がれているのです。

 先人の努力を無にすることがないよう努力したいものです。

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