サイレントマジョリティと沈黙の螺旋
沈黙の螺旋とは、社会の中で多数派に意見に対して少数派は発言しにくい状態となり、多数派の意見はより強く少数派の意見はより弱くなっていく現象のことを指す。これに抵抗するために、多数派の意見にあえて疑問を投げかける姿勢が重視される。
しかし、沈黙の螺旋により言いたいことが言えなくなるのは必ずしも少数派ばかりではない。よく、軍事独裁政権の崩壊後にその国民が自分たちは脅されて仕方なく旧政権にしたがっていたんだという場面を目にする。これに対して外国からは、軍事政権下では積極的に独裁者に協力した大多数の国民は責任逃れのためにそんなことを言って無責任だとする批判がおきる。確かにそういう側面もあるだろうが、独裁者が武力を背景にこれこそが正しい意見だと強く宣伝してきて、個々の国民が他の国民はみんな独裁者にしたがっていると信じれば、実は独裁者を嫌がる国民がマジョリティだっとしても、彼らは自分は少数派だと思い込み、ニセの沈黙の螺旋現象がおきる。多数派である反独裁者の意見は社会の中でどんどん弱くなり、独裁者の意見を支持する人がどんどん増えることになる。
マジョリティが声を上げる時に、それが沈黙の螺旋を生み出し少数派を圧迫するかも知れないという配慮は必要だが、正しいマジョリティがサイレントマジョリティとなって沈黙すれば、少数のプロパガンダによりサイレントマジョリティはサイレントマイノリティと化すのだ。
だから、冷静に考えておかしいと思えば自分が自分のことをマイノリティだと思っていてもマジョリティだと思っていても声をあげるべきなのだ。どんなにおかしな意見が多数派のように思えても間違っているものは間違っている。空気なんか読んじゃいけない。
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