中立と中道
中立と中道は混同されがちだが違う。対立する二者のどちらにも与しないのは中立だと言って良いが、必ずしも中道ではない。対立する二者の片方でも極端な意見の場合は、対立を放置し極端な意見を半ば容認するのは中道では無いからだ。
また、対立する二者の中間の意見を機械的に主張するのも中道では無い。対立する二者の意見の中間が極端ならば中道では無いからだ。たまたま、その中間点が中道的でもあっても、その意見が考えなしに機械的に導かれたのならば偶然に過ぎず、主体的に考えて中道だった訳では無い。
例えば、何某民族を皆殺しにしようと主張する極端な集団と、それに反対する集団の中間をとって、では何某民族の半分を殺しましょうと提案するのは、中道でも中立でも無い。
対立する二者の中間があたかも中立で中道だと思い込ませるような言説はしばしば聞かれる。過激な意見の持ち主は、両論併記だとか言論の自由だとかを盾にして、その極端な意見を社会にねじ込もうとするのだ。
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