制度への固執
長く続いている既存の制度の多くは、長きに渡り有用であったから残ってきたといえる。長く続く制度はその理念と融合して伝統となることもある。しかし、理念と制度は元々は別のものだ。真に守るべきは理念であって制度の方ではない。理念が実現しやすい様に時代や地域によって制度は変えるべきであって、制度に固執して理念がないがしろにされる事があってはいけない。
理念がないがしろにされたまま制度に固執すれば、やがてその制度が本格的に環境に適応出来ずに執行困難になった際に、当初の理念とは全く違う形で新たな制度が出来てしまうこともある。
近年では労働問題がそうだ。昭和型のパターナリズム的な終身雇用と年功序列制度は、その裏にどんな人でも飢えや貧困にあえぐ事がないようにという理念があった。その後、終身雇用や年功序列が非効率的で競争力を阻害する元凶として槍玉に挙げられるようになったときに、元々の理念が失われていたから、競争至上の弱者切り捨てを容認する制度に変わっていった。
また、一見すると理不尽で不合理な学校の校則も、それが成立したのは、いわゆる学生運動が盛んな頃であり、この時代背景を考えるとなぜにかくも厳しい校則が出来たのか分かるだろう。当時、日本を恐怖のドン底に落としていた多発する共産テロに対して、学校が管理を厳しくしたのが現代の校則の雛形となっている。現代に残るこの校則の理念は子供や若者が暴力に怯えることなく安全に教育を受けるようにするというものだ。学生運動が終息したあとも、中学高校を中心に暴走族や不良グループなどの準反社組織が暴れた時代もあったが、社会の努力でそれらもほぼ壊滅した。平和な現代において昔の規則は過剰であり、子供が安全に学べる理念を現代に活かすような校則に変更すべきだろう。
仏教においても、大切なのは理念だ。その修業方法や生活様式が古代インドのものと違うから偽物だという人も、制度に執着し本質を見失っていると言えるだろう。
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