長春包囲戦終結の日に兵糧攻めを考える
1948年10月19日は長春包囲戦が終結した日です。中華民国の長春を攻める共産党の人民解放軍が行った約5ヶ月に及ぶ兵糧攻めにより30万人を越す民間人の餓死者が出ました。改めて犠牲者の冥福をお祈りします。
さて、長春包囲戦のように第二次世界大戦以降も存外に兵糧攻めは発生しており、1967〜1970年のビアフラ戦争では都市だけでなくビアフラ共和国全体が包囲され物資の流通が滞った為に大規模な飢餓状態が発生しました。今世紀に入ってからも中央アフリカやシリアの内戦で局地的な兵糧攻めは多用されています。
兵糧攻めは非戦闘員に多大な被害をもたらす非人道的な作戦です。兵糧攻めを受けた時に真っ先に被害を被るのは社会的弱者からとなります。少ない食料が均等に配分されることは通常ありません。最後まで食事にありつけるのは組織的暴力を行使しうる勢力です。長春包囲戦でも少ない食料は国民党軍が独占し口減らしで市民を追い出すという暴挙も見られました。もちろん共産党が追い出された市民を救助するはずも無く、両軍が対峙する中で民間人が飢え死にしていったのです。
そんな非人道的な兵糧攻めですが、攻め手側からすると兵力の損耗を防ぎつつ勝てるので使われやすいのです。ただ、その実施には敵を包囲し物資を遮断して内部からの突破や脱出を防ぎ、外部の敵援軍を警戒せねばならず、相当に有利な状態で無いと出来ませんし、それを支える補給も大変なものになります。また、守る側も敵の兵力をその地点に拘束出来るメリットはあります。
諸問題はありますが、兵糧攻めは決して昔話では無く実際に今でも使われています。食料問題はそのまま安全保障問題であるのを忘れてはなりません。
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