昔は良かったり悪かったり

 昔は素晴らしかった、今の世は堕落しているなどと批判されるときの「昔」は本当の昔ではなく過度に美化あるいは捏造された昔でしかない。アプリオリ的に万事が理想的な世の中なんて過去に一度も存在したことはない。いつの世も良い面もあれば悪い面もある。だから現在だろうが、特定の時代の過去だろうが、その全てを否定したりあるいは全てを肯定するような言説は間違っている。あくまでも個別の事柄について考え批評するべきだ。

 だが物凄く長期に渡り続いて来た昔の伝統や思想は、その長い期間の社会や人々に共通して受け入れられる要素があるから途絶えずに続いてきた訳で、何かしら見るべきところがある。

 昔は素晴らしかったと言われがちなのは、実際の昔では無く、昔から延々と生き残ってきたすごい物事が昔の全体像だと錯覚されやすい為でもあるだろう。

 こういう錯覚を放置すると、古い物ほど良いというマウント合戦が発生する。仏教の場合だと、僕が考える一番古い仏教はこういうものだったから、その後の伝統や宗派は間違っているとか言い出す輩までいる。理屈では無く古い物こそ絶対正義だと思ってしまっているからどうやって元祖を詐称するかにこだわり本質を見失うのだ。

 実際に僕が考えた原始仏教系の意見をいくらか見れば分かると思うが、みな言ってることがバラバラだ。要は自分が考えた思想にハクをつけるために原始仏教の看板を掲げているに過ぎない。もっともこうしたマウント合戦は大昔からあり、如是我聞と言われても真に仏説だったかはあまり信用ならない。だが、これならお釈迦様も説いたに違いないと言う経典が仏説として生き残って来たのだから、現代において僕が考えた原始仏教を説かれる諸氏は後世に残るような素晴らしい思想を編み出すよう精進して欲しいものだ。

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