手灯

 手灯とは掌中の油に浸した灯心に火をともす苦行で、法華経の薬王菩薩本事品二十三にある悟りを求めるならば手足の指の一つでも灯明として仏塔を供養せよと勧められている事に由来します。この勧めの前には喜見菩薩が自分の身を灯明として師の浄明徳如来と法華経を供養した話も描かれています。末法思想が広がった平安中期以降では、実際に指を灯火にしたり、さらには焼身する往生行をする人もいたと伝えられます。

 数年前にチベットでの民族弾圧に抗議して焼身自殺する人が多くいましたが、自らを灯火として仏を供養し、苦しむ祖国の人々に自由と平和が訪れるように祈願した例もあったようです。

 苦しい世情の中では極端な事をする人は増えるものです。なんとも悲しい話ですが、そもそもお釈迦様は苦行を否定しています。命は大切にしましょう。

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