対人論法

 対人論法とは、例えば何かの議論をしている時に、相手の論に対しての疑問を突きつけるのではなく、論者の個人的な問題をあげつらう事により、そんな人格的にひどい奴の事なんて信用できないとする論法で、人格攻撃による論点ずらしの手法です。

 これは議論に勝つために相手のスキャンダルや過去の暗部を暴いて叩くという、古典的ですが聴衆を煽って味方につけるのには有効な手段として使われ続けています。何らの権威や権力を持つ人に対して、日頃を聖人面をしていた誰それが実は裏ではこんな悪いことをしてましたという図式は大変わかりやすいものです。しかも、高齢になるほど過去を探られて何もやましい事が無い人は少なくなりますので、民主国で新大統領などが誕生した際には敵対するマスコミなどが必ずと言っていいほど対人論法を用います。

 対人論法は議論によって相手を容易に打ち負かせる場合はあまり用いられません。逆に議論で圧倒的に不利な場合も人格攻撃で逆転できるものではなく使われにくいです。議論では決着つかない場合で、しかも支持者の数も近い場合に使われやすいと言えます。また、調べても醜聞が出ない人間には無効ですが、一瞬でも勢力バランスを崩せば良いだけならばデマや捏造の罪で対人論法がしかけられる場合があります。

 しかし、わざわざ問題点を暴き出さなくても、日頃から素行が悪ければ、その人があるとき正しいことを言ったとしても、周囲から「悪人のお前が言うのなら嘘に決まっている」などとされる事もしばしばです。論ではなく人を見て決めつけているという点では、これも対人論法の一種と言えます。

 仏教徒としては、相手がどんな人であろうとも偏見をもって判断するのは避けなければなりませんが、やはりいつも真面目な正直者が言っていることと、いつも嘘や悪口ばかり言っている人の意見が食い違えば、前者を信じてしまいがちです。対人論法は基本的に人格攻撃であり間違っていますが、多くの人からあんな奴は信用出来ないと言われる人には何らかの問題があることが多く、日頃の言動は慎みたいものです。

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