プロライフ派

 アメリカはテキサス州で人工妊娠中絶をほぼ全面的に禁止する法律が9月1日より発効している。胎児の心拍が確認された時点(おおよそ妊娠第6週)で医療的な緊急処置の要がある場合を除く全ての人工妊娠中絶が禁止された。強姦や近親相姦の結果での妊娠も例外ではない。また、中絶をした医師、患者の搬送をした運転手なども密告の対象となり、密告者には報奨金が支払われる。

 医療上の緊急処置が必要な場合は例外とはあるが、逆に言えば緊急とはまだ言えないが今後の妊娠継続が母体に深刻な危険をもたらす可能性がある程度では人工妊娠中絶は認められなさそうだ。訴えられる危険を冒してまでギリギリの手術をする医師もそうそういないだろう。そうなると、中絶の需要に対しては、もぐりの医者的な人が不十分な設備の下で法外な報酬で供給される恐れもある。

 胎児にも人権を認め保護すると言うこの法の理念は理解できる。しかし、例外の条件が厳し過ぎる。そもそも妊娠第6週では妊娠に気づかない場合も少なくは無いだろう。胎児の心拍が確認された後は、中絶せねば母体の命が危ない緊急の場合にしか中絶が認められておらず、事実上の人工妊娠中絶の完全禁止だと言っても過言ではない。

 さて、この法律の成立を強力に支えたのがプロライフと呼ばれる一派で、主にキリスト教保守派から原理主義者に属する人たちにより構成される。中絶手術を行う医師をしばしば殺傷することでも知られている。狙撃や爆殺などの事例もあり、プロライフの中の過激派はもはやテロリストだと言っても良い。彼らの理論では受精卵の時点から全て人権を持っており中絶は殺人と同義である。医療機関へのテロ行為で何人かの人が死んでも、結果としてそれより多くの命を救えると言う理屈だ。こういう人達がアメリカの政財官には広く浸透している。

 このプロライフの考え方は、産むか産まないかの選択に関して妊婦の権利を強く認めるプロチョイス派と呼ばれる人達からは反感を持たれている。ただ、どこまで中絶に関する裁量権を妊婦に持たせるのかは慎重に考える必要がある。堕胎できない言い換えれば、中絶が胎児の殺人とみなされ法的に禁止になる時期をどこで線引きするのか?妊娠第何週までか?あるいは、主要な器官が形成された時か?胎動が見られた時か?子宮から出ても生存可能な状態になってからか?それとも臍の緒が切れるその時までか?色々主張もあるだろう。極論を言えばそれこそフィリップ・K・ディックのSF小説「まだ人間じゃない」のように、出生後も人間とみなすには低能すぎる生物は、まだ人間じゃないとの判断で生後堕胎と言う殺人を犯しても良いのかと言う疑問は生じてしまう。プロチョイス派もそのチョイスによっては恐ろしい結果を招くことになる。

 なお、プロライフ派にとって、産むか産まないかの選択は女性が性交渉を受け入れた時に済まされていると考えている。しかし、そうならば、女性の意思に沿わない性交で妊娠した場合は、選択権を行使できなかった事になり。強姦の結果でも中絶禁止と言うのは理屈的におかしい。また強姦されていなくても、女性の望まない妊娠というものは存外に多くあるのだが、プロライフ派はそれを快楽を優先させた挙句に殺人(中絶)をしようだなんてとんでもない事だと言う認識を持っている。キリスト教原理主義的には繁殖目的以外の性交渉は禁止されているので、その視点では当然の解釈だが、プロチョイス派との合意形成はあり得ないだろう。こういうところにもアメリカの分断はある。

 困ったものだ。

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