等身

 お釈迦様の入滅から500年以上に渡り、お釈迦様の像は作られることはなく図示する場合は法輪などの象徴的なものが用いられていました。その後、1世紀頃のガンダーラ地方で仏伝を説明する際に人物のレリーフが用いられる様になったとされます。

 当時のガンダーラ地方にはギリシャ人の定住もあり彫刻が盛んであったのも、仏像誕生に一役かったと思われます。レリーフに刻まれたお釈迦様はそれと分かるように他の人々より大きく彫られる傾向にありましたが、やがて単独の仏像として彫られた初期のガンダーラ仏は等身大であったとされます。

 以後は等身の仏像だけでなく、お釈迦様の超人性を表して人間よりも大きな仏像が作られたり、運びやすい小型の仏像など様々な大きさの仏像が作られていきます。一方で、仏像建立の発願者や王族と同じ身長で仏像が彫られる風習も出来て、日本でも法隆寺夢殿の救世観音菩薩像や金堂の釈迦三尊像は聖徳太子の等身だと伝えられています。

 仏伝のレリーフはお釈迦様の骨を安置し礼拝の対象であった巨大な仏塔の周囲に彫られたものでしたが、仏像の発明により礼拝の対象を地域や個人で所有することが容易となり、仏教の拡大に寄与したものと思われます。ご自宅の仏壇にある絵像や仏像もこうした歴史の積み重ねの上にあるのです。仏像が等身でなくても等身大の衆生を仏は見守っています。南無佛。

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