陰謀論者が死ぬのは自然淘汰では無い。

 反ワクチンやフードファディズムなどなど、それを信じる集団の寿命を短縮させるであろうデマや陰謀論は数多くある。では、嘘を嘘と見抜けない人がより死亡しやすく、嘘を嘘と見抜くことが出来る人がより生き残るという状態は、自然淘汰であり許容されるべきなのだろうか?これに関しては強く否定しておきたい。

 なぜならば、それは遺伝的身体的な要因による環境適応ではなく、人間の脳が誤情報に汚染されたことにより起きる問題であり、進化論の自然淘汰とは異なるからだ。

 こう言うと、いやそんな誤情報を容易に信じてしまうような脳を持つ人間が情報化社会に適応出来ずに死亡するのだから自然淘汰だろうと言う反論もありうるかと思う。なるほど極めて賢い人間ならば、そうそうデマや陰謀論に騙される事はないだろうが、絶対では無い。今現在、デマや陰謀論を信じ込んでいる人間が、そうでない人間と比して生物学的な素養としての知能に大きな差があるのか疑問だ。環境さえ整えば容易に人は騙されるものだからだ。

 陰謀論は人命を危険に晒すミームなので、そのミームさえ除去出来ればミームの担体となっている人間を排除する必要は無い。伝染性の感染症と同じことだ。

 理解不能なモノやコトに対する不安を利用して広がるミームには、現実のリスクの理解を促進する事で拡散を防ぐことが可能だ。だが、人々が不安に思う問題を理解させるのはなかなかに難しい。

 目に見えてわかる病気を「治療」するのなら人は治療行為に多少のリスクがあっても率先して治療を受けようとする。一方、今現在は元気で問題ない状態にあるのに今後の病気の「予防」のために副作用が起きるかもしれない行為を受けようとする際には、理性的に考えればどんなにリスクベネフィット的に見て有利であっても、その予防的行為に対する本能的な警戒感があるのは自然なことだ。理性が十分に育っている人間ならリスクに対して十分に安全な予防行為に大きな不安は無いだろうが、理性の発達が不十分か、著しく不安感が強いか、その両方に該当する人間は予防的行為に強い警戒感を持つ。理性の発達が不十分なだけなら教育は効果があるかも知れないが、不安感が強い人に対しては教育のみでは不十分で不安に共感し落ち着いてもらう事が先決となる。また、病的な不安感に対しては医学的な治療が必要だろう。要するに多角的な対策が必要となる。

 ワクチンも殺虫剤や防カビ剤などの農薬も食品の保存料や防腐剤も地球温暖化への対応も、これらの陰謀論が特に多い案件は全て「予防」的なものだ。その根源には上記のような警戒感があると思われ、教育とともに不安感を取り除く事が、陰謀論ミームの拡散を防止する鍵となるだろう。

コメント

このブログの人気の投稿

妙好人、浅原才市の詩

現代中国の仏教

懐中名号