昨日の質問の解答案

 昨日の質問の要点は、大量殺人者など自己や社会への深刻な脅威になると思われる人物に対して私的な殺人を行う事は許容されるかどうかという事です。

 正解は法的にも倫理的にも殺人者を殺さずに警察に通報することなのは間違いないでしょう。自分が襲われた時の反撃ならば正当防衛の範疇になるでしょうが、先制して殺害するのは、もちろん違法ですし、私的殺害を検討する時点で倫理的にはアウトです。

 しかしながら、世の中のみんながそう思ってくれるとは限りません。

 例えばアメリカでは人工妊娠中絶をする産婦人科医が殺害されたりします。犯人の動機はその医者を生かしておけば多くの子供(胎児)が殺されるので、結果として自分は1人を殺すことで多くの命を救ったのだという理屈です。もちろん、様々な事情で堕胎せざるを得ない女性をサポートすることは一般的には殺人とは考えられませんが、この犯人にとっては殺された医師はまさに大量殺人鬼だったわけです。

 また、オウム真理教で言うところポアは、このまま生かしておいても罪を重ねてしまう人をいち早く殺害することで罪をおかせない状態に導くという理屈で、あのテロリスト教団は殺人を重ねていったのです。そんな理屈なんてありえないと大半の人は思うでしょうが、教団の内部ではまかり通っており、彼らからみたら、殺された一般人は悪人であり死により救われた事になります。

 では、このように相手のことをとんでもない悪人だと認識して殺人を犯す人は、ただ罪を犯しただけにとどまらず、それ以上の悪影響を社会に与えます。先の例で考えると、医師が中絶の手術をすると殺されるかもしれない環境では、自分の命を危険に晒してまで中絶手術をする医師は減るかも知れません。しかし、医師が減ったからといって中絶手術の需要が減るわけではありません。その結果、中絶にかかる費用は中絶手術をする医師が多くいる時よりは高騰するでしょう。その結果、女性が危険な妊娠継続をせざるを得なくなったり、強姦などによる子の出産を余儀なくされることもある訳です。また、オウム真理教のような先例があったせいか、近年では過激なことをいうカルト団体への公的なプレッシャーは増しましたが、民間からのプレッシャーはむしろ減っている感もあります。彼らの私的な暴力行使は市民の言論を萎縮させるのに十分な効果があったといえます。

 さて、ここである国の厚生労働大臣が、とある政策を行えば多くの人命を救えると分かっていながら消極的な態度を続けていたとします。これは事実上の大量殺人と同義です。相手が悪い場合は私的殺人を含む制裁を行っても良いとする価値観では、この大臣は排除すべき悪魔です。実際にこの大臣を暗殺すれば、次の厚生労働大臣は恐れをなしてその政策をすぐに実施するかも知れません。もし、次の大臣がダメでも言うことを聞くまで暗殺し続ければいずれ目的は達成できるでしょう。

 しかし、彼を殺せば多くの人命が救えるとしても、殺してはいけません。それを許容すれば、世の中は意見の正当性によってではなく、暴力を有効に行使できる人間の意見が正当とされてしまうからです。軍事独裁国がなぜ悪いのかを考えればその危険性が分かってもらえるかと思います。

 もし、目の前にどう考えても排除すべき悪がいたとしても、それは司法的な手続きに訴えるべき事なのです。ネット界隈では、自分が気に入らない政治家や有名人が怪我や病気になった時に、死ねばいいのにと言う人も多いですが、それは殺人を実行していないだけで精神性は同じようなものです。自分がそうならないように気をつけたいものです。

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