両論併記

 マスコミの報道姿勢が偏向しているという批判はよく耳にするが、では両論併記ならいいのかと言うとそうでもない。

 確かに、世論を二分するような話だったり、二分までしなくても相当数の異論を言う人がいる問題についての記事なら両論併記が良い。マスコミが世論の大勢とは違う意見を持つ時に、あたかもマスコミの意見が世論の大勢であるかのごとくに偽装する偏向は許してはならず、マスコミの意見に反対する意見も報道すべきなのは間違いない。

 だが、両論併記が認められるのはその両論が議論や検討に値するものの場合だけだ。明らかな誤情報は論になりえない。

 例えば、台風が接近している時に、どの程度の勢力でどんな大きさの台風がどこに向かっているのかは、人々の命や財産を守る上で正確に伝えなければならない情報だ。ところがニュース番組の台風情報を伝える時間の半分を費やして、実は台風接近というのは気象庁が政権の不祥事を隠すためについた嘘で台風なんて存在しないから日常生活を堅持すべきだという意見が根強くあると報道したとすれば、もし本当にそんな意見の人が実在しても、これは公正な両論併記とは言えない。もちろん、こんな分かりやすいものは実際には無いが、マスコミが両論併記の体裁でガッツリ偽情報を突っ込んでくることはしばしばあるので油断ならない。マスコミの両論併記を見ても、なにか裏がないか調べたほうがいいだろう。

 逆に、いわゆるヘイトスピーチをする差別主義者がしばしばこの両論併記をマスコミに要求する事もある。世間では極めて少数派で倫理的にも認められない彼らの差別的意見を両論として報道せよなどというのだ。もちろん、ほとんどのマスコミはこんな要求を認めたりはしないが、差別主義者はマスコミが両論併記をしなかったと言って叩く材料にする。

 両論併記であれば必ずしも公正であるとは限らないように、両論併記しないことが必ずしも偏向していることを意味するわけでもない。両論併記があるからないから良いの悪いのという意見は、必ずその中身を吟味してから判断すべきだ。

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