ナガサキ

 8月9日は長崎原爆忌だ。8月6日のブログにも書いたけど長崎の平和記念式典やその周辺はまあまあ大人しい。広島ほど怒号は響かないし、右翼の街宣車もこころもちボリュームを落としている(マジで)。交通の便も悪く、谷間の街で大量の人が集まりにくい事もあるのだろうが、原爆忌とは祈りの日であるべきだと思うので、個人的には長崎の原爆忌の方がよいと思う。こちらにもコロナ禍で今年も参列は避けるが、今年も静かに犠牲者の冥福が祈られるだろう。

 さて、そんな長崎ではあるが長崎市内で平和関連の展示を行う小さな博物館がある。知人の話では以前そこで原爆投下をアジア解放の希望だと礼賛する展示があった。流石に酷いと思い抗議したところ、会場を貸しているだけだとのことだった。ならばと、その知人は中国が東トルキスタンを占領して行なった核実験についての展示を申し入れたところ、なんと認められたというのだ。だが、開催が決まり準備も万端となったところで突然に博物館側から中止の命令を受けた。理由はその当時は流行っていたニコニコ動画の知人も関わるチャンネルの動画で一般ユーザーが書き込んだコメントが被爆者を馬鹿にするものだったからというものだった。知人とは全く関係のないどこの誰が書いたかもわからないコメントを理由に展示そのものが中止になるという不可解な決定には、おそらく博物館の偉い人かあるいは中国の意向がはたらいたものと思われる。その展示会は結局、近所のホテルを借りて2日間だけ実施されたのだが、期間は大幅に短縮されたし、観光客もよく訪れるその博物館の方がインパクトがあったのは違いない。残念なことだ。他にも同じ知人の話で、某新聞社が主催する核問題の展示で中国に関する質問をしたところスタッフから「中国の核兵器はアメリカなどの帝国主義に対抗する正義の核だ」との返事をもらった事もあるそうだ。全部が全部とまでは言わないが、平和を標榜して展示や活動を行なっている集団には隠れたファシストやレイシストが多いのは残念な事実だ。

 8月6日に五輪のサッカーチーム監督だった長崎出身の森保一監督は「平和であるからこそ、スポーツの祭典ができる。平和であるからこそ、大好きなことができる。平和をかみしめて、五輪を最後まで臨みたい」と言っていた。五輪開催の是非はとりあえずおいておくとしても、長崎出身の監督が広島原爆忌の日に出したコメントは、ヒロシマ・ナガサキはその惨禍を思い出し平和のために祈る事が大切なのだと思い出させてくれる。

 口先だけで平和を唱えイデオロギーで良い核兵器と悪い核兵器を分類するような平和主義者なんぞナガサキとは無縁であって欲しいものだ。

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