他人の目
人間は他人が見ていると悪いことをしづらくなるものです。その他人が自分の仲間で悪者ならばともに悪事を働くこともあるかも知れませんが、見ている人が立派な人であるほど悪事は働きにくくなります。仮に心理的な抵抗を除いて見ている立派な人を倒して悪事を為そうとしても、周囲の人は立派な人の味方をするでしょうし、そもそも立派な人が十分に強ければ倒せません。また逆に、自分のことを立派な人物だと慕う者や期待している者たちから見られていると思わずカッコつけて良いところを見せようとしてしまいがちです。
本来は他人の目のあるなしに関わらず、善いことをして悪を断つのが仏教徒の努めですが、他人に自分のことを良く見せようとする煩悩はなかなか消えるものではありません。これは究極的には自分に対する執着であり、不変の我という存在は無いと観ることが出来ていないから起こる心でしょう。
だから自分をカッコよく見せる意味は本質的には無いのですが、日々仏様に祈る中で、仏と共にいると感じている人は、常にとても立派でとても強い他者の目にさらされていることになります。なかなか悪いことは出来ませんね。
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