身勝手
世の中、他人の身勝手な行動ばかりが目に付きますが、自分の行動も他人には身勝手に見えている事もあるでしょう。自分が自身の都合や利益のみを優先させて他人に迷惑をかける事をしていないかは常々自省したいところです。
ですが、迷惑をかけあうのはお互い様だから、他人の身勝手な行為は黙認すべきかというと違います。例えば、流通する商品を買い占めて値段を釣り上げて売りさばこうとする人を黙認するのは、そうした犯罪行為に加担することを意味します。他人の身勝手にはしっかりと抵抗しないと、身勝手な行いは助長されその人の悪い思い違いをも育ててしまうのです。
身勝手な行為をする人などいない、全ては価値観の相違であり、正義と正義の対立に過ぎないと極端に相対的な視点から、全ての言論や行為を肯定する人もおります。このような極論を言う人たちにレイシストが多いのは、彼らが暴力的な恫喝という表現の自由を駆使して、社会的弱者から権利を奪い取りたいがためです。彼らはこうしたヘイトを認めないのは多様性を否定する不寛容だとまで言います。しかし、彼らは忘れています。寛容な社会を維持するためには社会は不寛容に不寛容であらねばならないのです。
そもそも人間が社会生活を送る以上は維持すべき最低限の秩序と言うものが存在します。少なくとも世俗法で平時における私的な殺人と傷害と窃盗を禁止していない国は存在しないでしょう。こうした身勝手な犯罪の自由を認めてはならないのです。
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