理想的な社会

 理想的な社会は実現可能でしょうか?少なくとも日蓮宗の信者はそれを目指しているのだろうと思います。ですが、恐らく人類滅亡のその日まで完全無欠の理想社会は実現しません。ならば、どうせ無理だと諦めてしまえば良いのかというとそんな事はなく、よりマシな社会を目指すのは大切です。その努力なしには社会はとことんまで腐ります。社会の秩序や治安が保たれているのは、それを維持しようとする多くの人々の努力があるからです。差別や偏見を是とする暴力的な人達がいくら増えようが力を増そうが、それに対する抵抗をやめてはならないのです。また、抵抗はしてもその人達を敵視してはいけません。彼らも可哀想な人達なのです。刑法に従って彼らが裁かれる時も、その更生や冥福を祈るようにしたいものです。

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