一子地
一子地は全ての衆生を自分のひとり子のように慈悲をもって平等に見る心です。大乗仏教の涅槃経では次のように一子地が仏性であると説かれています。
佛性者名一子地 何以故 以一子地因縁故 菩薩則於一切衆生得平等心 一切衆生必定當得一子地故 是故説言一切衆生悉有佛性 一子地者即是佛性 (大般涅槃経32)
現代語訳では、「仏性は一子地と同じだ。なぜか。一子地を因縁として大乗仏教の修行者たる菩薩は全ての生き物を平等に観る心を得る。そして全ての生き物は必ず一子地に至る事ができるので、全ての生き物に仏性があると言える。一子地はすなわち仏性だ。」となります。
この一子地を得た者は退転することなく必ず悟りに至る位に達したとされます。菩薩の修行段階を示す十地のうち初地(歓喜地)と同じです。菩薩は初地において空の理や仏法を正しく理解したりしますが、初地で最も大事なのは全ての衆生を救う願を立てる事です。一切衆生を救う願い無しに大乗仏教の菩薩は存在し得ないのです。しかも、全ての衆生を平等に想わなければならないのです。自分の子供に対しても、デマを流して私腹を肥やす人にも、殺人鬼にも、聖人君子のような人にも、平等な慈悲を持つのですからまさに至難と言えます。
一子地の位に達するのは至難ではありますが、それを経た仏や諸菩薩の慈悲は平等に私達にも届いていることになり、ありがたいことです。
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