軽々しく
影響力のある人間は軽々しく他人の憎悪を煽るべきではない。重々しかろうが影響力が無かろうが煽ってはいけないが、影響力のある人間が煽る憎悪は本人が意図しない効果を発揮する可能性が高い。言葉は慎むべきだ。
何かの計画が潰えた時に、その責任者が責任を取らず他の誰かが悪かったかのように言って自分は悪くないと声高に主張するのは醜悪だ。そしてそれを信じた支持者が過激な行動をとっても、そんなつもりじゃ無かったと言い逃れするのだ。多くの支持者がテロ行為を含む過激な行動をとれば、今後その集団が何かするときに迂闊に批判も出来なくなる。そして、これらは支持者が勝手にやったことだとして責任者は永遠に責任を取るつもりはない。美味しいところだけ持っていく事ができる。責任者がそれを狙ったのかどうかは知りようもないが、疑われも仕方ないだろう。
こうした暴力行為を用いれば多くの市民を恐怖で黙らせる事が出来るだろうが、いずれ社会から反撃を受ける。少数の暴力主義者が勝利を収めることは殆どないし、勝っても長続きはしない。責任者が煽り狂信者が暴力行為に走ったせいで、当初の計画に参加していた人の内の非暴力的な普通の人まで社会から断罪されることだろう。その過剰な反撃は新たな恨みを生み報復の連鎖は止まることを知らない。
こうした恐ろしい事態の発端となりうる影響力が強い人間は発言する前にその内容を慎重に吟味すべきだ。影響力が強い人間は往々にして、自分の影響力なんて大したことないと謙遜するが、そんなのは自分の発言で何かが起きた時に責任を取らずに済ませるための予防線に過ぎない。世の中の弱い人間は権威の言葉を口実にどんな過激な行動も取りうる。殺人も自殺も窃盗も何もかも、責任が自分に無いと言う簡単な言い訳があるだけで人はいとも簡単に犯罪に手を染める。アメリカの議会占拠事件を見れば明らかだ。責任をトランプ前大統領やQアノンに転嫁できれば、ロクな証拠が無くても人は過激な行動に出る。そして、トランプ前大統領もQアノンもその責任を取らない。
恐ろしいことだ。
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