探湯(くかたち)

 中世ヨーロッパの魔女裁判で、被疑者の手足をしばり水の中に放り込んで浮かべば有罪と判断され処刑、沈めば無罪として助けられる事になっているが大体は溺れ死んでいるという悪名高い神明裁判の例がある。古代日本にも似たようなものはあった。探湯(くかたち)だ。

 探湯は被疑者に身の潔白を宣言させてから煮えたぎる湯の中に手を入れさせ、被疑者の主張通り無罪ならば火傷を負わないとするものだ。五代の天皇に仕えた忠臣として名高い武内宿禰が弟の甘美内宿禰の讒言により応神天皇から誅殺されそうになった時に探湯による裁判で無罪が証明されたとの伝説がある。

 もちろん、普通に煮えたぎるお湯に手を漬ければ火傷を負う訳で武内宿禰の件はそういう事があったと口裏を合わせたか、何らかのトリックを用いたものだろう。

 応神天皇は讒言にのせられて自分の祖父、叔父、両親にも仕えた忠臣を殺そうとしてしまっていた。また、応神天皇の母である神功皇后にも助力し三韓征伐を戦った壱岐氏の祖である真根子は武内宿禰の外戚でもあり容姿が似ていた事から、応神天皇のよこした使いに対し自身が武内宿禰であると偽って自刃し本物の武内宿禰が弁明に行く時間を稼いだ。既に国境を守る有力な氏族の者が命を落とす一大事だ。応神天皇も単に間違ってましたごめんなさいとは言いづらく、劇的な演出を要していたのは間違いない。探湯なら神の力による判断なのだからちょうど良かったと言える。実際に応神天皇に対し武内宿禰がどんな弁明をしたのかは分からないが、とにかく武内宿禰は探湯を行うも火傷をすることなく無罪となった。

 一方、応神天皇を謀った甘美内宿禰は同じく探湯で火傷を負い有罪が確定した。甘美内宿禰は兄の武内宿禰に殺されそうになるが、応神天皇の命令で救われ武内宿禰の妻の実家である紀伊国造家の奴隷となった。なお武内宿禰とこの妻の子である紀角が名門紀家の祖であるとされる。

 口封じするならば甘美内宿禰は処刑した方が良かったはずだが生かしておいたのは応神天皇こと八幡大菩薩の慈悲の現れだろうか?探湯にしても致命傷とまではならないだろうから、はじめから手心が加えられていた感もある。

 ともあれ、探湯は普通に行えば確実に火傷を負い有罪とされてしまう。それを無罪とする演出には政治的意図を感じざるを得ない。また、相手を問答無用で有罪する場合にも使えるだろう。無罪となった例が存在するというのは哀れな被害者から抗弁の機会を奪うものでもある。それを否定するのは応神天皇と武内宿禰を嘘つきとするのと同義だからだ。応神天皇がどういう意図であったのかは分からないが、この伝説は古代日本において悪用されるケースの方が多かった事だろう。

 現代社会でも無茶な理屈で罪を認めさせようとする行為はある。そんな目に遭いそうな時はめげないで、この探湯の話を思い出してほしい。

コメント

このブログの人気の投稿

妙好人、浅原才市の詩

現代中国の仏教

懐中名号