龍神と三熱の苦

 三熱の苦とは、仏教において竜が受けるとされる三つの苦を指す。有名な源信の往生要集の中にも「竜衆は三熱の苦を受けて昼夜に休むことなし」とある。さて、その三つの苦とは、熱風や熱砂で身を焼かれること、悪風により住居や衣服が奪われること、金翅鳥に食われることの三つだ。金翅鳥はガルダのことで、翼間長が336万里(※)にもなると言う伝説の大鳥で口から火を吹き龍を食うとされ、一部では梵天の化身ともされる。元々の三熱の苦は畜生界で龍や蛇が受ける苦難とされていたが、日本では龍神にもその影響があると考えられていた。

 仏教で最も有名な龍神と言えば護法の神である八大龍王であろうが、仏道修行に勤める龍王は三熱の苦を受けないと伝えられている。しかし、仏教の修行をしない龍王については三熱の苦を受けるとされており、これらの非法行の龍王は人々が善い行いをしないと五穀を実らせなくするなどの災いをもたらすとされる。真言宗の龍王講式という降雨祈願の術式では、僧侶の祈祷によって龍神の三熱の苦を取り除くことの返礼として降雨をお願いする形式をとっている。人の、もとい神の足元を見るとは中々いい度胸だとも思うが、非法行の龍王にとってこれが仏縁となれば善いことだろう。

 水を司るとされる龍神への祈りは干魃のときの雨乞いの儀式が多く伝わっている。逆に水害時の止雨の祈りに大掛かりな儀式がされたとは寡聞にして知らない。これは干魃は日照りが続き困っても儀式の準備は出来るが、水害については特に天気予報が未発達だった昔においては突然起きるものであるから儀式の準備をする間が無かったからだと思われる。水害時には、差し当たり龍神に限らず被災者自身の信仰する神仏であったり避難先の寺社の神仏に止雨を祈ることが多かったようだ。古い寺社は長年の間に起きた様々な災害にあっても残って来たのだから、地域のより安全な場所に建っている可能性が高く避難場所としてはうってつけだ。長年の水害に耐えてきた寺社の主に祈りたくなる気持ちはよく分かる。また、観音経の影響もあって水難にあっても助けてくれるとされる観音菩薩に祈る人も多い。

 実際のところ、祈ったところで雨が降ったり止んだりする訳では無いが、物理的に出来る対策をしつくした時は不安でイライラしがちであり、祈ることによって精神を安定させる効果はあるだろうし、落ち着けば良いアイデアが浮かぶかも知れず、また極限状態で人倫を守るのにも役立つだろう。八大龍王は護法の神であり、祈る人が仏道から外れないようにしてくれているとも解釈出来る。


(※)地域や時代で里が一体どの程度の長さなのか変わるが漢語の仏典が書かれた頃の一般的な1里はおよそ400〜500mだろうと思われる。1里を400mで考えても金翅鳥の翼間長は134万kmほどとなる。

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