政治家の病気や怪我

 政治家の健康問題は次の選挙の得票に直結する。高齢過ぎる候補者が不利なのもこのためだ。しかし、若くても病気や事故はいつ降りかかるか分かったものではない。それ故に、政治家は自分の理念を継ぐ後継者の育成に励むのが常だが、もし後継者に関して何の準備もしていない政治家が死んでもそれは政治の継続性の喪失を意味しない。その政治家を支持した選挙民は似たような政治家を支持するだろう。政治家の意志と言うものはその政治家個人の命をもって終わらず次の世代に伝わる。ただしこの件に関しては、政治家により育成される後継者の大半は血縁者や秘書などであり、後継者指名を受けていれば選挙では圧倒的に有利なので、それが民主主義的かという意味で問題があると言える。しかし、ともあれ政治的な継続性は本人の生き死にに関わらず保たれる。

 また別に選挙を待たずとも、行政の長たる政治家が病や怪我に倒れてもバックアップするシステムはある。副首相や副知事や副市長や副区長や副町長や副村長はその為にいる。より末端の政治家や行政職員が倒れても代わりはいるし、何らかの事情で大きな欠員が出来ても議会が機能していれば新たに選出しあるいは人員の補充も可能だ。病弱な首長が次の選挙で勝てるかどうかは別問題として、だれかが倒れたくらいで機能しなくなるような行政や社会は制度的に欠陥がある。独裁制ではトップが倒れれば大混乱だろうが、幸いに日本は独裁国ではない。誰しも病気や怪我はするのだから、首長が倒れても治療に専念してもらって人々がその快癒を祈ることが出来るのがよい社会だ。

 首長が病気や怪我をするとはけしからんなどという批判は日本を独裁国か何かと勘違いしているのではないだろうか?また、首長の政治的思想が気に入らないからと、病気の人に対して「そのまま死ね」とか言ってしまう人もいるが、これも嘆かわしい。たとえそれが悪逆非道な独裁者でもあっても、病気の快癒を祈るのが人として守るべき道徳というものだ。もっとも、独裁国では国民がこぞって言わされるのではあるけど、政治信条への批判と病気や怪我などは別に考えてもらいたいものだ。昔、某右派議員の選挙カーが交通事故を起こした時に、知人のSNSアカウントで「ちっ生きてたか」などとのコメントでみなさん盛り上がっていたので批判したところ右翼扱いを受けたこともあったが人の心の荒廃は実に恐ろしいことだ。

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