仏飯

 宗派によって差はあるが、日本の伝統仏教で仏壇に仏飯を盛る器は概ね足の高いものが使われる。盛られる仏飯の形にもバリエーションはあるが山型に盛る事が多い。これは山ではなく蓮の蕾を模しているとの説もあるが、奈良時代の頃の仏飯器はボウル状のもので蓋がついており、米を山型に盛るようになったのは後世のことだろう。当初の仏飯器は托鉢の鉢が原型であると思われる。

 さて、そもそも仏飯は仏様に捧げられているものだ。これは仏壇に捧げられる仏飯でも本来同じことではあるが、宗派の教学が否定しても多くの日本人は仏壇に祖霊の存在を見ており、仏飯も本尊のみならず成仏して仏となった祖先に捧げられていると言える。

 昔の仏飯器は前述の様に鉢のような形であり、それを日本の伝統的な食器である高坏を低くしたような台と組み合わせて使われていた。時代を追うごとに台の足は高くなっていき、徐々に鉢と台は一体化していって現在のような仏飯器となった。その方が持ちやすいからなのかも知れないが、神仏習合の歴史を考えるとちょっとした柱状の物を立てて祖霊に捧げるという意図があるようにも思える。そうすると仏飯の形も神道の盛り塩などにみられる山型の形状として祖霊の依代に見立てた可能性もある。また、仏飯器の足が急速に伸びたのは江戸期であり、寺請制度により庶民の家庭にも仏壇が祀られるようになった時期と重なる。儀式を正確に受け継ぐ努力をしている寺院よりも庶民の祭祀の方がより習合文化が生まれやすくなるのは間違いない。仏飯もお下がりとして家人らが食する事が多く、これは神道でいうところの直会と同じ事だ。これらの説が本当に正しいのかは断言出来ないが、明治維新までは神仏習合が当たり前であった事を考慮すればいくらかの影響があったと考えるのが自然だろう。

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