口中の斧
あまり強い言葉を使ってはいけないのは弱く見えるからではなく、無用な争いを招くからです。自分が荒々しい言葉を使わないようにこころがけるだけでなく、他者からの脅迫や恫喝にも平常心を保つようにこころがけたいところです。
南伝仏典のスッタニパータの第657偈に次のような物があります。
人が生まれときには、実に口の中には斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を切り割くのである。
言葉は容易に自分や他人のことを傷つけるものだから、口は慎むべきなのだと言えます。ところで、スッタニパータにはこの偈文の前フリとして修行僧コーカーリヤの話があります。
コーカーリヤは舎利弗尊者と目連尊者が邪心を持っていると疑念を持ちお釈迦様にそのことを告発します。お釈迦様はそのようなことを無いからそんな事を言ってはならないと三度たしなめますが、コーカーリヤはお釈迦様の言う事をききませんでした。そうするとコーカーリヤは皮膚病を患い絶命して地獄に落ちたという話です。
さて、この話でコーカーリヤは無実の罪を舎利弗尊者と目連尊者にきせようとした訳ですが、それが悪意であったのか事実誤認であったのかまでは明らかでなく、また、告発時も舎利弗と目連に邪念があり悪い欲求にとらわれていると言っただけで、そんなに強い言葉や罵りの言葉を用いてはいません。この程度で地獄におとされたらたまらないなと言うのが正直な印象ですが、この話では正しい人を悪く言うなという事を強調したかったのだと思われます。続く658偈ではそしるべき人を誉めて誉めるべき人をそしる事を、659偈では聖者への悪意を、それぞれ戒めています。
思えば今年は、アメリカ大統領選や新型コロナウイルスやオリンピックなどの諸問題に対して意見の違う人を激しく罵る人が多く見られます。その中には、科学的倫理的に妥当性のある意見を発信する人に対して、荒唐無稽な妄想を持って彼らが悪いことをしていると罵ったり暴力に訴えたりする人達もいます。口の中の斧はやがて陰謀論者たちを傷つけることでしょう。また、正しい側もあまり相手を激しく罵るのはやめた方がいいように思います。少なくとも私にはコーカーリヤが苦しんで死んで地獄におちる程の事をしたとは思えません。事実を正しく認識出来ない弱者をあまり苛烈に責めるのは可哀想です。悪事は止めなければなりませんが、何が正しいかを理解できないような弱者は攻撃の対象ではなく救うべき存在です。ついつい怒りたくなる気持ちも分かりますし、自分自身も怒ってしまうことがありますけど、なるべく怒らずに口中の斧を用いる事無く対処したいものです。
自他ともに慈悲の心が湧く事を祈って、合掌。
コメント
コメントを投稿