過去の言動に対する責任
オリンピック関係者の過去の不祥事が次々に暴かれている。中には明らかにオリンピックに関係したがゆえに探し出された物もあるが、不適切なものは不適切だ。類似の事件は海外の芸能人でもあり、子供の頃に言った人種差別発言が問題視され謝罪した例もある。だが、ある程度の年齢の人間なら、過去に何も不適切な言動が無い人間なんていないだろう。そして苦い思い出は既に取り返しがつかないからこそより苦くなるものだ。そうした過去が思い当たらない人は記憶力が悪いか嘘つきかのどちらかだと思う。
しかし、そうとはいえ、障害者を縛り上げて暴行し排泄物を食わせて自慰を強要するなどの凶悪なことまでやった人は極めて少数だろうし、もしやっていてもそれを公に自慢気に話すような倒錯者は更に少数だと思われる。また、本人に差別の意図が無くても悲惨な事件や事故を笑いのネタにするのは不謹慎だ。自分の家族や友人が死んだ事件を茶化されたら誰しも不快だろう。そのネタが居酒屋の酔漢がしていた下卑た話ではなく、何らかの記憶媒体に残される場合は言い逃れ出来ない。脛に傷を持たない人はいないとはいえ、程度の問題は重要だ。五十歩と百歩に差は無くても、一歩と万歩を同列に語ってはいけない。
こうした、過去の不祥事が露見した有名人たちを可哀想だと擁護する意見がマスコミや芸能界では驚くほど多い。これは彼ら自身にも色々と心当たりがあるからなのかも知れない。容易に過去の検索が可能となった現代の新しい問題だ。
また、今回の五輪はこれだけでなく様々な不祥事や失言があったが、多くは余計な言い訳や自分は悪くないかのような反論を試み更に炎上した。鎮火可能そうな謝罪コメントはまだ1回しか見ていない。中々に大変だ。しかしこれは他人事ではない。全人類にとって今後の世の中では謝罪スキルが重要になってくるだろう。もちろん内心が一番大事だが表面に出るのは言葉や態度であり、これを失敗すると内心でどんなに謝罪しても炎上が止むことは無いだろう。
このような社会になったからでなくても、日頃から行動と発言を慎み、心に怒りや貪りの煩悩を少なくするようにして、日々を積み重ねていれば自覚のない不祥事以外はだいたい防ぎうる。また、過去に悪いことをした自覚があるのなら懺悔して繰り返さないようにしたいものだ。過去の逃れ得ない罪を社会から糾弾されたならば、誠意ある謝罪以外に何も出来ることはない。妙な反論などはしないことだ。
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