足るを知らず
人間は歳をとってくるとだんだん欲が少なくなる場合が多いです。あれもこれもと望んでも全てが思い通りにはならないことを長い経験の中で思い知らされているからです。だんだんと諦めてくるのです。小生も買ったけど読んでいない本を全部読破する野望はもう諦めました。
死の間際になって、まだまだアレもしたいコレもしたいと言っても詮無いことです。歳を取ると諦めるものが多くなりがちですが、逆に言うと若いとまだまだやりたいことが多いのが普通です。その無念さを思うと若い人の死はいたたまれないものがあります。
仏教では貪りや怒りを嫌って足るを知れとはいいますが、希望や野望に燃える若者や、遊びたい盛りの年端も行かぬ子供らにそんなことを言っても納得できる人は少数でしょう。また、幼い子を残して死ぬ親に後のことは心配するなと言っても無理でしょう。高齢者も欲は減っても何かしら思い残すことはあるでしょう。
現実的には死を前に足るを知ることが出来ない人の方が多く、その時が来たら好むと好まざるとに関わらず後事は誰かに任せて祈るしかありません。ただ、死ぬ間際にそういう思いを巡らせることができればまだいいですが、不慮の事故や睡眠時の心臓発作などで何も考える間もなく死んでしまうこともあります。だから定期的に死を思う習慣は必要なのだと思います。
朝晩にお仏壇に手を合わせる時に、ご先祖様とともにその死を思えば今を生きる私達も時間を大切に出来ることでしょう。
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