自灯明・法灯明
自灯明・法灯明はあまりにも有名なお釈迦様の遺言です。自分と仏法を拠り所として修行に励むようにという意味です。仏教では生活の全てが修行ですから、自分の頭でちゃんと検証された事実をよりどころとして生きろも読めます。
例えば何かの行動を選ばなくてはならない時に、偉い人がそうした方がいいよと言ったとしても、自分の頭で情報や事実を分析して結論を出すべきなのです。誰か偉い人が言ったからとかそうしたという言い訳はしてはいけません。判断に必要な時間がどうしても足り無くて権威者の言うことを信じたのなら、結果がどうあれその権威者を信じるに足るとみた自分の決定にこそ責任はあります。
昔と違い様々な知識が恐ろしい勢いで明らかにされている現代では、全ての学術分野が専門化されてしまい、その全てを一人の人間が理解することは不可能です。それ故に人を見る目は重要となります。また、物事が専門化されたとはいえ、ある程度の要約はプレゼンテーションされていますから、こうした情報を正しく冷静に読み解く技術も必要となります。少なくとも科学的な話をしている場でバイアスが強すぎる煽りが入った文章は警戒すべきです。感情的な煽りに乗らず偏見を除き中立的に観るという姿勢は仏教徒なら守りたい基本です。
とはいえ、専門性の高い話に関しては誰かの説明内容を全て実験して検証するのは困難であり、利害関係の異なる多数の研究者が追試や調査を行い問題ないとしたのであれば、信じるに足るとみて問題ないでしょう。陰謀論者が言うような、世界中の科学者が一致団結して口裏をあわせ悪いことを企んでいるという可能性は無視していいレベルに皆無です。
こうした判断の上に、何かしらの権威者の意見を信じるのは別に構わないのですが、それは必ず実在の権威者であるべきですし、定期的に信じるに足るのか検証されるべきでもあります。
もし、自分に都合のいいことを勧める架空の権威者を妄想してしまえば、あとはひたすらに迷いの道に突入するだけです。例えば、二・二六事件は皇道派と呼ばれる軍人らが中心となっておこされたクーデター未遂事件ですが、彼らは昭和天皇の周囲にいる君側の奸が政治をダメにしておりこれらを除けば理想的な社会になると考えていました。この時に事件を起こした首謀者らが思い描いた天皇陛下は実際の陛下とは乖離した単なる妄想です。自分らの妄想する権威者が自分たちを支持していると信じ切って高橋是清らをはじめとする重臣ら惨殺したのです。高橋是清は現代の政治家と違い、大胆な財政出動で世界恐慌により起きたデフレから日本経済を脱却させた胆力のある政治家でした。その出口戦略として過大な軍事費の拡大にブレーキを掛けたため軍から恨まれたのもあるでしょうが、皇道派の妄想では彼こそが天皇を妨害する奸臣だったのです。しかしもちろん皇道派のこの考えは事実無根であり、有能な忠臣を惨殺された昭和天皇の怒りは強く、クーデターは失敗に終わり事件の首謀者は賊徒として処刑されることになります。
このように、実在の人物を権威として信じたと思っていても、実は誰かの妄想で出来たイメージをその人物だと信じれば大変なことになります。世の中には、自分は善良な市民の負託を受けて正義の活動をしているなどと妄想して犯罪行為を是認する恐ろしい人達もいるようですが、その基本構造は二・二六事件と変わりません。だいたい、市民と言っても千差万別でいろんな意見があるにも関わらず、自分からみた悪人以外の全人類が善良な市民として自分の理想を支持してくれるという考えは、妄想以外の何物でもありません。こうした妄想に陥らないように常に自分を見つめ直し、真実を見つめ直すことは大切です。自灯明・法灯明を忘れないようにしたいものです。
コメント
コメントを投稿