仏身
仏教上の大罪とされる五逆罪の中に仏身を傷つけて出血されることがあります。他の五逆罪の内の三つは、母を殺すこと、父を殺すこと、阿羅漢(仏教の聖者)を殺すことであり、殺人罪と傷害罪が同列に語られているのは、仏と尊属・聖者と一般の衆生の命の重さに差があるのかと言う問題があります。出家者限定の最重罪である波羅夷の中には殺人も含まれており、こちらは殺される対象で罪が変わることはありません。
それはさておき、仏身を傷つけ出血させうるのは仏が肉体をもってこの世にいる時だけです。お釈迦様が入滅して以後は実行不可能な罪です。傷をつけて出血するのは肉体を持つ身だけだからです。肉体を持つお釈迦様がいなくなって以降の仏教教団では、お釈迦様の肉体を色身あるいは生身と呼び、お釈迦様が残した教えが集約された概念も法身として仏の身と考えました。
つまりお釈迦様在世の頃は仏身といえば人間としてのお釈迦様だけだった訳ですが、入滅後は肉体とは別に仏法も法身という仏身だと考え、二身説が出てきたことになります。その後、法身は真理そのものと考えられ、何らかの固有名詞を持つ我々が普通に認知する仏は報身という色身とは別の存在が考えられました。大乗仏教から表れた多くの如来たち、例えば阿弥陀如来や薬師如来も現世に肉体を持っていないので色身としては考えられないからです。報身の報は、修行の結果その業の「報い」として仏陀の特性を備えた身ということです。そして、人間のお釈迦様のように肉体を持ってこの世に現れれば応身と呼ばれるようになりました。応身の応は衆生の願いに「応じて」この世に出現した身ということです。現代でも多くの大乗仏教宗派では仏身は、法身と報身と応身の三身と考えられています。密教系では全ては真理そのものである法身から表れた身で、その法身こそ大日如来だと考えています。
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