仏像に拝まれる人
20世紀の仏教ブームの火付け役で臨済禅のみならず日本仏教界の泰斗であった故松原泰道禅師が、ある日のことお寺に参詣に来た子供から質問を受けます。そのお寺の観音様は合掌されているお姿だったのですが、観音様にお参りした子供は自分の方を向いて合掌されている観音様は何を拝んでいるのだろうと疑問に思ったそうです。この質問に対して禅師は、その子供の中に観音様から拝まれる心があるのだと説明しました。
祈っている形状の仏像は、たしかに参拝した人の方をみて拝んでいるように見えます。松原泰道禅師の言うように考えれば、参拝した人は自分が拝まれているという認識をもって、それに恥じぬように精進しようという心がおきることでしょう。一方で、例えば観光化した古刹などでは美術品を見るようにこうした仏像を眺めるだけだったり、足早に通り過ぎるだけの人もいますが、そんな人達もこうした仏像は拝んでいる形となっています。前を通り過ぎるだけの人にもその中に仏心をみて敬意を示す仏や菩薩がいるのです。その姿から学ぶことは多いです。
世の中はとんでもないことを言ったりしたりする人が多くいます。そんな相手についつい怒りたくなることもありますが、観音菩薩のように相手の中にあるはずの仏心に敬意をもって望みたいと思います。
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