破僧

 破僧は仏教の中でも最も重い罪である五逆罪の一つで、僧の和合を破ることです。他の4つは母殺し、父殺し、阿羅漢殺し、仏身を傷つけることとなります。組織に仲間割れを起こすことが傷害や殺人レベルの重罪と見なされていた事になります。

 ところが、何をもって破僧と言うかは紀元前3世紀頃に大きく変化したという説があります。それまでは、お釈迦様の教えと違う事を説くのが破僧とされていましたが、この時既にお釈迦様の入滅から300年ほど経過しており、縁起や無常などの基本的な考えは共通でも細かい分野において違う考えは当然出現するわけです。しかし、お釈迦様がいない以上は多様な意見のどれが正しいのかは決めようもありません。そこで、ともに行事を行っていれば破僧にはあたらないという考えが生まれ主流となっていったとされます。西遊記で有名な玄奘三蔵がインドに学んだ時も、大乗仏教をはじめ多様な部派が同じ学院内にあったとされ、意見の不一致を破僧とは見なしていなかったようです。

 こういう姿勢は一見するといい加減なように思えますが、僧団や教団に限らず人間の意見なんて多様で当たり前なのです。それらが一定の社会性をもった集団であり続けるには、多様な意見に対する寛容性を持つと同時に、社会的秩序を保つための最低限の行動もともに出来ないという人達には何らかの処置が必要となるのです。仏教界においても、破僧など最重罪に対しての罰は教団からの追放です。

 多様性や寛容さは大切ですが、実際に暴虐な行いをする者らに対しての寛容さなんて無用なのです。それに、暴力や威圧に屈して悪の尖兵となることは寛容さではありません。

コメント

このブログの人気の投稿

妙好人、浅原才市の詩

現代中国の仏教

懐中名号