仏の真似
昨日の擬態の話の最後に仏や菩薩の真似が衆生を救うと書きましたが、そもそも仏教自体が仏の真似です。お釈迦様は修行の結果、真理を発見しました。その後お釈迦様は、凡人には理解出来ないであろう真理を発表するかどうか迷っていたところを梵天に真理を理解出来る人もいるだろうからと懇願されて布教を決意されたと伝えられます。最初の布教の相手はかつての苦行の仲間であり、一定の素養を持った人を対象に説かれています。お釈迦様初の説法は縁起の法と四諦八正道だったと言われます。これは真理の理論とそれを確認するための実践方法です。つまり、真似をしてみないと分からない内容となります。教えを受けた修行者は仏の真似をして教えを理解したのです。
実際のお釈迦様がなぜ布教を決意したのかは分かりませんが、後世にお釈迦様は全ての生き物を救おうとする志で布教をされたと信じられるようになった事は、大乗仏教以降の利他の思想に大きく影響したと言えます。縁起や無常観の考えを元に空や唯識の思想を体系化し、様々な瞑想方法が編み出されました。お釈迦様は真理を作ったのではなく発見されたものであるから、確実な真理から演繹されたものもお釈迦様の教えと同じと見なされたのも特に大乗仏教が多様化した原因の一つと言えます。このダイナミズムが、時代や社会や環境にマッチした教えを熟成します。現代の温帯地方に古代の熱帯地方の教えや常識がそのまま適応されないのも、まさにこのゆえです。また、こうした多様な教えが発展したのは全ての人を救うという目的から生じる寛容性のおかげでもあります。その意味も分からず今となっては内容も確かでない古代インドの方法以外は間違っていると言う人は仏教で最も避けるべき執着に陥っているのです。仏教の伝播において、人は先人を真似て同時に創意工夫を加えて、時代や地域にちょうどよいように進化してきました。
これは現代の大乗仏教でも変わりなく、信徒は今ここに仏様がいらっしゃったならするであろうことをしようと努力します。たとえ真似事でも仏様のような人が増えるのは善いことですので、みなさんも積極的に真似ていきましょう。
コメント
コメントを投稿