ベイツ型擬態と人間の真似。
ベイツ型擬態とは、有毒の生物に似た毒々しい警告色の模様を持つ無毒の生物が捕食者から狙われにくくなることです。このベイツ擬態が発見された時代はようやく進化論が出始めた頃であり、無毒の生物が身を守る擬態のために警告色を獲得したかのような説明がされる事がありますが、進化論的にはたまたま警告色を獲得した無毒の生物が捕食者に狙われにくくなったと言うべきでしょう。
ある生物の進化は、その生き物がそう願ったからでも工夫したからでもなく膨大な偶然と時間の産物です。しかし、人間的な視点では、あたかも無毒の生物が意志を持って有毒の生物の見た目を真似ることによって危機を回避しているように錯覚して、(生物が意図的に)擬態していると言う人もいるわけです。結果として擬態しているのは否定しませんが、決して意図的ではなく進化の結果です。
一方、人間は生物として何かに擬態してはいませんが、狩猟や戦争あるいは商取引などにおいて自分の意志をもって様々なカモフラージュをします。これは進化では無く自然や状況を観察して考え出した結果です。また、誰かすごいことを成し遂げた人がいたら、多くの人がその人の真似をします。実際にそれが有効かどうかは実のところわからないのですが、そうした多様な真似を繰り返してきた結果、人間社会の環境に適応して実際に効果があった真似は生き残り体系化されていきます。科学だけでなく武術や宗教や哲学に至るまで、何らかの思考や思想の体系は、生物ではなくミームの進化の結果生じたものと言えます。仏教は特に変異や分岐に富む体系であり進化論的にみても興味はつきません。
進化という一点で考えると、ベイツ型擬態で救われる虫などがいるように、仏や菩薩の真似をすることで救われる衆生もいるのだと思います。
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