梁の武帝
梁の武帝といえば達磨大師の「無功徳」の話で有名で、功徳を期待しての善行が批判されたり、仏教への帰依の深さを演出するための極端な出費で国庫を傾かせたり、自分が仏教に通じているとの慢心から他人を見下して諫言を聞き入れなかったなどと伝えられ、割と散々な言われようです。
しかし、梁の武帝が仏教に傾倒したおかけで、南朝梁と交流があった東アジア地域に仏教が広がったと見ることもでき、その功績はもう少し評価されてもいいような気もします。武帝は自身も仏道修行に励んでおり、それへのおべっかだったとしても近隣諸国からは皇帝菩薩とも呼ばれていました。ちなみに初めて盂蘭盆会の法要を開いたのも武帝だとする伝説があります。彼がいなければ、お盆に親族が寄り集まる風習も、それにより生まれた数多くの思い出も無かったかも知れません。
さて、その後いろいろあって、武帝は反乱軍に捕らえられて食事も与えられず飢え死にするという悲惨な最期を遂げます。結果として失敗した人間には冷たい評価が下るのは歴史の常ですので、後世の悪評は多少値引いてみてあげたくなります。
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