三階教
かつて漢土の南北朝時代から栄え唐の玄宗皇帝の弾圧で滅び去った三階教と呼ばれる仏教宗派がある。三階とは衆生の能力を時代と場所ととも分類したもので一階が仏陀の教えに則った一乗の衆生、二階が仏滅後に伝わった三乗(声聞、縁覚、菩薩)の修行をする衆生、三階が救いがたい邪見の衆生となり、三階教がおこった時代は悪く世界も衆生も悪いとされ、もはや仏陀が説いた一乗や後の三乗の教えでは救われないと考えた。これは浄土教の正法・像法・末法の区分に類似している。こうした衆生を救うために、仏法僧への徹底的な帰依を行う普敬と、自己のあらゆる罪の懺悔を行う認悪が勧められた。
このうち普敬とは自分以外の全てを仏として崇める、法華経の常不軽菩薩のような発想であり、このような物のみかたを普仏普法と呼んだ。この実践にあたり信者から布施をつのり集まった金銭などを困窮した人に与える無尽蔵院というシステムが構築された。現代で言うところの募金活動である。こうして莫大な富を手にした三階教では不正行為もみられるようになり、強力になりすぎた無尽蔵院は玄宗皇帝によって三階教ごと叩き潰されたのである。
また三階教は、三階の分類と同類の末法思想を持つ浄土教とは宗論を戦わせたことも知られている。これは、浄土教が阿弥陀如来一尊を崇拝するのに対して、三階教はあまねく存在を仏として崇めていた事が主な論点だった。
また、三階教の認悪は徹底的に自分が悪である事をみつめるもので、これも自己の凡夫性を徹底的に見つめる浄土教と似ている。さらに自己の内に悪が出来上がるさまを観察することで普敬の障りとなる煩悩をコントロールするという禅の修行のような面もみられる。
なかなかに面白い教えだが、徹底した弾圧によりあまり資料が残っていないのが残念だ。
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