コロナの風評被害と幻想論
新型コロナウイルスによる風評被害は恐ろしいもので、地域によっては感染した一家がご近所さんから嫌がらせを受け引っ越しを余儀なくされるような例も散見されます。感染後も死なずに治癒したのならまずはおめでたいことで歓迎すればよいのだし、そもそも未だ発症していない人よりは免疫が出来ている可能性が強く、そういう人が地域にいてくれた方が感染防御としては良いはずなのですが、地域ぐるみでいじめるのです。いじめる側の理屈としては、みんなが感染防御に気をつけているさなか、例えば感染者一家に帰省した家族がいるとか飲み会にいったとかいうことを糾弾して地域を感染拡大の危険にさらした懲罰としていじめて見せしめとすることで、他の人の逸脱行為を防ごうとする意図があるのでしょう。しかし、こうした行為は倫理的にも感染防御の意味でも間違っています。
倫理的な誤ちは他人に暴言・暴力を振るう時点で明らかですが、感染防御上も不利益であるとは次の理由によります。まず、感染は誰かからはうつされた訳です。全く人との接触を絶っている訳では無い以上は仕方がないことです。そのうつした誰かはまた別の誰かにうつされた訳で、ずっとそのリンクをたどっていけばどこかに好ましからざる行為をした人がいることもあるでしょう。では、そういう人を見つけ出して地域社会が徹底的にリンチすればどうなるか?好ましからざる行為をする人は減るかもしれませんが、それによりリンチを恐れて、感染した時にその経路に思い当たる事があっても報告しないようになる人が多くなるのは自明でしょう。日々発表されている感染経路不明者数の中には本当にわからない人のほか、わからない事にしている人も多いと思われます。実際に、特殊性癖のある人達の会員制クラブでクラスターが出たときなど、はじめに見つかった感染者はそこに行ったことは隠蔽しようとしたそうです。それによりリンクの追跡が遅れた事は社会全体に脅威となりました。直接関与してなくても知人や友人にどういう裏があるかわからないのですから、迷惑がかからないように黙っている人も出てきます。リンチをすることによりその恐怖から感染者がいつどこで誰とあったのかを報告しないようになったら結果として感染はより広がります。感染者の行動に問題がない場合はもちろんあっても責めてはならないのです。倫理的にも実利的にもです。
この他にも問題があります。よくコロナ幻想論者が言うように、コロナを防ぐよりより大きな社会被害が出る恐れがあるのです。だから大したことがないコロナなんて無視しろというのが幻想論者のロジックですが、コロナの感染防御に関わる被害がいくら大きくてもコロナが大した事無い病気だということにはなりませんから理屈はおかしいです。しかし、風評被害に基づいて自粛警察などと揶揄されるリンチ執行集団がはばをきかせると、幻想論者が力を増し結局として感染の沈静化までより時間がかかることにもなります。
このような事態を防ぐために、国民の行動の法的な制限と経済的な補償をセットで行うのが良いと1年以上前からずっと言われていますが、日本政府はあいもかわらずお願いレベルの宣言で国民の自己責任に話を還元しようとしているように見えます。幾ばくかの補償はしましたが、アメリカのような巨額の財政出動や減税は意地でもしたくないように見えます。結果としてコロナ幻想論者や自粛警察が暴れて人々の間に取り返しのつかない心の傷を残しつつあるのです。
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