冷戦
米中による新冷戦体制化も懸念される昨今だが、米ソ冷戦とはまた違う物になりそうではある。しかし、冷戦を体験として知らない人も多くなった昨今ちょっと昔語りをして考えをまとめてみたい。
以下、主観に基づく話だが、まず、米ソの全面核戦争による世界滅亡のシナリオは可能性として十分ありうる話だった。それを防ぐためのホットラインや相互確証破壊ではあるのだが、当時の人はもしかしたらいま世界が終わるかも知れないという考えを心の隅にもちながら生きていた。では四六時中緊張した生活だったかというとそうでもなかった。長期化する緊張や災害や戦争などの中にあっては非常時の中でも日常が形成されるものだ。ただ、今の世の中よりも人は刹那的であったようにも思える。明日生きてる保証が無いのだから当然と言えば当然だが、明日生きている保証が無いのは実は現代でも同じことなのにそれに気づかない人が多い。
また、ソ連など東側社会の詳しい情報は一般人にはほとんど入手出来なかった。恐らく東側からみた西側の情報も同様だっただろう。双方が相手のことを恐怖を振りまく悪の帝国としてみる一方で、両陣営の反体制派は相手の国を理想郷だと夢想したりもする。現代においても情報の入手が比較的困難な北朝鮮を実はこの世の楽園だと盲信する人たちが一定数いるのと同じことだ。よくわからかい相手には自分の恐れや希望を投影しがちになるのだろう。
さて、来たるべきなのか来ずに終わるのか分からないが、米中の新冷戦はどんなものになるだろうか?旧冷戦時代の頃と比べて現代では相手国の全てを核で焼き払うという行為へのハードルは著しく上がっている。可能性としてゼロでは無くても昔ほどの緊張感が人々の心に生まれるかは疑問だ。また科学技術の発達により、情報の遮断も昔と比べてはるかに不完全なものにならざるを得ないだろう。技術大国にして独裁国という情報遮断には理想的である中国が封じ込めようとしてもウイグルの情報がチラホラと漏れ出るのをみるに完全な情報統制は不可能では無いかと思われる。よって以前ほどの分断が米中両陣営間に成立する可能性は低い。台湾などで武力衝突が起きる可能性もあるが、それがすぐに両陣営の同盟国を巻き込んだ世界戦争に発展するかは疑問だ。米中冷戦は、主に経済戦争となり軍事力の行使はあっても局地的なものにとどまる可能性が高いのではと思う。
冷戦は嫌なことではある。世界が自由で民主的で仲良くできればその方がいい。ただ、無理に付き合って本当の戦争になるくらいなら、お互いに距離を置くのも一つの智慧ではあるだろう。しかしそうしてしまうと、独裁国陣営の中で迫害や虐殺の憂き目にあう諸民族は救われない。戦争が嫌だからと彼らを見殺しにしていい訳はない。言い方は悪いが冷戦状態でお互いの問題点を指摘し圧力を掛け合えば、足の引っ張り合いが目的であっても現実的状況は少しずつ改善するかも知れない。一般人レベルで出来ることとして、独裁国で商売がしにくくなるからと人権蹂躙に加担するような自国の企業や政党に圧力をかけるのは一定の効果があると思われる。冷戦がどちらかの勝ちで終わる時、独裁国に住みたいか民主主義国に住みたいかを考え後者であるならば小さな努力でもするべきだと思う。
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