煽られても乗らない

 近年では煽るという言葉が挑発すると似たような意味合いで使われる事も増えています。挑発はする方が悪いのですが、挑発に乗って暴力沙汰を起こしたとすれば挑発に乗った方が悪いのも自明です。煽り=挑発はロクなものではありません。

 だから、どんな事情があってもまず挑発をしてはいけず、相手が挑発されたと思わないような落ち着いた言葉を保たねばなりません。次に挑発を受けても言葉と行動を慎まなくてはなりません。内心に怒りが無ければ容易い事ですが、怒りが生じても言葉と行動でそれを表現してはなりません。言葉と行動が加われば怒りもまた増大するからです。

 完全にこれらを守れなくても注意しているだけで減らす事は出来ます。自分の心や言葉や行いに注意を向ける正念は冷静さを取り戻すのに役に立つものです。

 煽りというと自動車の運転中のそれも社会問題となっています。理不尽な煽り方をされたからといって煽り返したり急ブレーキを踏めば更に双方の行動がエスカレートされるし、そもそも危険運転は犯罪です。忍辱の心が肝要でしょう。ただ、こちらが煽り返さなくても粘着される場合もあり、そうした時はどうにかして身を守り警察に通報するしかありません。

 しかし、煽り運転は近年話題になっているものの、実は昔からあり体感的にはむしろ昔の方がひどかった印象すらあります。ドライブレコーダーの登場や法の厳罰化の他にインターネットによる情報拡散力も抑止力となっているのかも知れません。世の中が少しずつでも良い方向に行っているのは嬉しいことですが、抑止力となりうるネットの情報拡散力は煽り行為にも利用できるので、やはり最後は人の心を大切にせねばならないのだと思います。

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