不増不減経

 不増不減経は如来蔵系の経典に分類される短いお経です。お経の内容は、お釈迦様の一番弟子である舎利弗がお釈迦様に、全てが苦しみの状態であり輪廻を繰り返す衆生は増えたり減ったりするのかを尋ねて、これにお釈迦様が答える形式となっています。その答えをものすごく端折ると、衆生も菩薩も如来も同じ法身の違う状態であるとして、衆生界と法身に違いはなく増えも減りもしないと説きます。法身が一切の煩悩から解放されれば如来であり、法身にまとわりつく煩悩を除くべく修行している状態が菩薩であり、法身が煩悩によって遮られている状態が衆生となります。衆生界において煩悩と法身は共存しているけど一体化することはなく、煩悩を払えば如来の本体である法身があり、究極的存在である法身は増えも減りもしないという理屈です。

 こうした如来蔵思想は、この世に成仏できない生物はいないという考えであり、一切の衆生を成仏させるという使命を持った菩薩の修行の根拠ともなっています。一方で、衆生界が既に法身であるならば修行は不要であるとの曲解を生み出しやすいお経でもあります。衆生は法身が煩悩に覆われているのですから、それを払うのは前提なのですが困ったものです。修行を全否定する浄土真宗においては、自分が煩悩の塊であることを徹底的に知ることが前提となっており、その結果として自発的におきる善行などの傍から見たら修行のように見える行為も弥陀の本願力の発露であるとの信仰ですので、修行は否定していても問題ありません。

 ただ、こうしたお前はもう救われている系の教えに慚愧や感謝が伴わなければ、単なる慢心に堕するということは留意しておく必要があるでしょう。

コメント

このブログの人気の投稿

妙好人、浅原才市の詩

現代中国の仏教

懐中名号