延命十句観音経は心の鏡

 延命十句観音経は小生が中学生の頃、始めて暗唱できた思い出深いお経です。しかし、その頃は自分のおかれた苦境や社会の不条理に対してなんとかしてくれと願いながらの読経だった事をおぼえています。要は現世利益の祈祷でした。観音菩薩のお経なので助けを求めるのは別に悪いわけではありませんが、お経の意味を考えると違った見方が出来ます。

 ただ、延命十句観音経はある程度は多義的な解釈が可能であり、意味を考えると言っても各人によって捉え方には差があります。以下に延命十句観音経の全文とその現代語訳(案)をお示しします。

延命十句觀音経
 觀世音 (かんぜおん)
 南無佛 (なむぶつ)
 與佛有因 (よぶつういん)
 與佛有縁 (よぶつうえん)
 佛法僧縁 (ぶっぽうそうえん)
 常樂我淨 (じょうらくがじょう)
 朝念觀世音 (ちょうねんかんぜおん)
 暮念觀世音 (ぼうねんかんぜおん)
 念念從心起 (ねんねんじゅうしんき)
 念念不離心 (ねんねんふりしん)

 現代語訳私案「観音様、私は仏に帰依します。仏様から悟りに至る因と縁を与えられ、仏と法と仲間たちの縁によって成仏することが出来ます。朝も夕も観音様を念じます。この念は心から起き離れることはありません。」

 上記の様に考えると、このお経は観音様とともに菩薩の道を歩ませていただくという感謝の意味合いが強いように思えます。

 さて、先述のようにこのお経は色んな解釈が可能です。例えば、上記の訳では佛(仏)を、悟るべき真理そのものである法身仏と想定していますが、釈迦如来や大日如来や阿弥陀如来などの個別のイメージを持つ仏様を思い浮かべる人も多いでしょう。

 また、観音様は如来になれるのに、この世の全ての生き物を救うためにあえて菩薩にとどまっている方なので、お経の中の仏を観音様とみることも可能かと思います。その場合、帰依するのは観音様であり、因も縁も悟りも観音様とともにあり、この経を受持する者も全ての生き物を救うという決意表明となります。

 延命十句観音経はそれぞれ読経する人の心の状態によって、祈祷だったり、感謝だったり、誓願だったりするのです。

 なお、延命十句観音経の延命は臨済宗の高僧として有名な白隠禅師が江戸時代にこのお経を普及させた際につけたもので、十句観音経とだけ呼ぶ人もいます。十句観音経は南朝宋の時代の成立とも言われます。1500年ほどの長きに渡り東アジアの人たちに大事にされてきた十句観音経は、今日でも多くの人達の心をうつしだしているのです。

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