衆縁和合

 涅槃経でも説かれる衆縁和合とは、この世は様々な縁が合わさって成り立っているということです。例えば自分というものも様々な縁によりかりそめに成立しているに過ぎません。この考え方では直前の自分と今の自分とでは同じものでは無く、直前の考えや知覚や行動や周囲の環境などの縁により現在の自分があり、現在の考えや知覚や行動や周囲の環境などの縁で直後の自分が生じ、次々に生滅を繰り返しているのです。そして、自分が存在もまた縁となり他へと影響を及ぼします。自分が地球の裏側にいる人にも影響を及ぼし、逆に影響を及ぼされもするのです。また、遠い過去の人の縁も今に連なり自分に影響を及ぼしますし、自分も未来へ縁をつなぎます。これは何かすごい本を出版したとかでなくても、今日おこなった僅かな善いことや悪いことだって先々の世界へ影響するのです。

 仏教の前提となっている全ては移ろい行くという諸行無常も、全てのものは因縁により生じた実体の無いものとする諸法無我も、この世が衆縁和合により成り立っていることと表裏一体です。仏教の悟りとは原因と結果の連なりを観て、苦の根本原因が煩悩にあると理解し、煩悩から生じる原因と結果の連鎖を断ち切って苦をなくす事が基本です。これは縁起とか因縁とかと呼ばれますが、衆縁和合の世界では個々の因縁のつながりも複雑に関係しあっています。だから、何かの結果が複数の原因からなることも、なにかの原因が様々なところへ影響を及ぼすこともあり、その結果があらたな原因となってこの世は網の目のような縁が広がっていることになります。自分が何かをなしえたと思っても、それは膨大な縁の繋がりの結果そうなったのであって思い上がってはいけないのです。

 衆縁和合の世界は無常であり移ろいいきますが、原因が結果をつくる連なりは変わる事がありません。不変の仏性とはそこにあるのです。古来、仏道において正念と正定が重視されたのは縁起を正しく観なければ仏性の存在も分からないからでしょう。南無佛、南無法、南無僧。

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