涅槃経

 昨日、2月15日はお釈迦様がお亡くなられ涅槃に入った日とされています。2500年ほど前の事で正確では無いでしょうが、2月15日の他に旧暦2月15日や月遅れの3月15日などで涅槃会の法要が営まれます。

 お釈迦様の最後の旅と説法をまとめた涅槃経は複数のバリエーションがありますが大きく分けると大乗仏教版とそれ以前のものになります。大乗仏教版は天台宗による五時八教の教相判釈の影響から法華経との関係において語られる事が多く、全ての衆生に仏性がある事や仏の永続性が説かれています。

 日本の仏教では伝統的に大乗仏教の涅槃経が受持されてきましたが、近年では大乗仏教以前の涅槃経の方が世間により広く知られています。有名な自灯明・法灯明も以前の涅槃経の言葉です。この風潮は学者や一般の仏教者だけでなく、伝統宗派でも法話などでよく古い涅槃経の話を用いています。この古い涅槃経の内容は、お釈迦様が最後の旅の中でした説法と、死に臨んで全ては無常なのだから修行に励むようにと説かれた事、死後の弟子や信者たちの様子や遺体の扱いの説明がなされています。

 古い涅槃経も良いお経ですが、その信奉者らが内容の違う大乗仏教の涅槃経を偽物の取るに足らない物と言いがちなのは悲しい事です。

 大乗仏教は、お釈迦様は誰でも仏となりうる道を示したにも関わらず、部派仏教で人は仏にはなれないとする教学が広まった為に、そのアンチテーゼとして、また原点回帰を目指して成立しました。皆が仏性を持っている事を前提とする考えは、主にシルクロードから東の北部アジアに広がった大乗仏教の根幹であり、人が本来的に持つ善をどうやって発露させるかに先人達は心を砕いてきました。こうした思想の潮流が、この地域の文化や民族性に強く影響してきたのです。こうした歴史的背景を無視して自らの源流となる教えをやれ偽物よと悪しざまに罵るのは御先祖様に唾を吐くような行為です。

 一日過ぎてしまいましたが、涅槃会を祈念してお釈迦様をはじめ仏法を受持して来られた多くの先人に感謝申し上げます。

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