仏教的な人生の短さについて

 暴君ネロの幼少期の家庭教師であったことで知られるストア派哲学者セネカの有名な手紙「人生の短さについて」は、簡単に言うと仕事や遊興に忙殺される事は他人から自分の貴重な時間を奪われることに他ならず、そんなことより哲学しようぜ!といった感じの内容だ。一切皆苦だからと出家したお釈迦様の発想に通じるものもある。在家ではなかなか実践するのは困難だが、多忙でありすぎると人生で何がより大切なことなのかを見失いがちとなる。人生に適度のゆとりは必要だろう。

 また、セネカの「人生の短さについて」では、労働や怠惰や遊興を不要なものとみなしているが、大乗仏教的な視点ではこうした日々の生活の中にも仏を見いだせるはずであり全てを投げ出し隠遁せずとも少しずつ精進していきたいものだ。

 たとえ労働せずとも生きていける資産家の子に生まれ人生の全てを思索と学習に捧げられたとしても、やはり人生は短いと思う。そうした経験があった方が死に臨むに際し覚悟は決まりやすくとも、哲学にも仏道にも人間のうちに完成は無いのだから人生が十分に長くなることも無いだろう。仏道は続ける事が肝要であり、それは職場や家庭の生活を大切にしながらでも可能な事だ。ただある人が、哲学的な事を全く考えず生きるためだけに生き続けて、気がついたら死の直前であったのならば、その人の主観的な人生の長さは無に近い短さとなるだろう。

 人に与えられた時間は短く貴重だと忘れぬようにしたい。

 

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