梁塵秘抄より4
後白河法皇選の梁塵秘抄には法華経二十八品歌として法華経についてまとめられた百十五首の歌が収載されており、本日は最終章の普賢品から一首をご紹介します。
草の庵の静けきに 持経法師の前にこそ 生々世々にも値ひがたき 普賢薩埵は見えたまえ
現代語では「山野の庵の静けさの中に、法華経を信じ保つ僧の前にこそ、何度転生してもまみえることが難しい普賢菩薩が現れる」となります。なお、普賢菩薩は法華経の中でその行者を守ると誓っている菩薩です。
現在でこそ法華経といえば日蓮宗で、彼らは世俗に積極的に法華経の思想を布教していくスタイルです。日蓮が晩年の活動拠点としていた身延山久遠寺などは山の中にありますが、社会への働きかけを重んじる日蓮宗全般のイメージとしては山野の静かな庵という感はあまりありません。しかし、後白河帝が生きたもちろん時代にはもちろん日蓮はまだ生まれてもおらず、天台宗の比叡山延暦寺が法華経の思想を伝える最大勢力でした。
当時の比叡山ですが、後白河天皇の五代前の七十二代天皇だった白河天皇は思い通りにならないものとして、鴨川の流れとサイコロの目と比叡山などの僧兵をあげています。後白河帝の時代にも比叡山はしばしば強訴と呼ばれる暴力を行使して自分達の政治的目的を達成しようとする行為に明け暮れていました。
こうした時代背景から考えると、上記の歌は法華経の心を詠んだという以外に比叡山におとなしくしておいてほしいとの後白河帝のお気持ちの表れかも知れません。
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