吉村知事のPCR陽性者と感染者は違うとする発言の問題点

 大阪府の吉村知事が1月13日の会見で新型コロナウイルスのPCR検査で陽性であっても感染していることは意味しないという主旨の発言をした。自治体の首長の発言としては大変危険なものだ。今日はこの問題点を解説したい。

 まず、PCRの検査陽性でも感染を意味しないという言葉だけならば正しい。検体の取り違え、混入など人為的、技術的な問題により誤った結果が出ることは完全には防ぎ難い。また、吉村知事は感染者を他人に感染させる力を有する者と定義して話をしているが、この考え方ならば感染する前にウイルスの飛沫を吸入してまだ鼻や口の粘膜に付着しているだけの状態で同部から検体を回収されてもPCR陽性となる可能性はあるし、感染後の回復途上でもう十分にウイルス量が減っている段階でも検査が陽性となる可能性もある。

 しかし、人為的技術的な偽陽性は別として、感染前の単なる付着であっても、その後に感染が完成する可能性とその程度は予測困難であり感染しているものとして隔離・警戒するのは妥当だ。また、回復途上にある者かどうかは、例えば3週間前に風邪気味でしたと申告する人のPCR検査が陽性であっても、その時の感冒症状が新型コロナウイルスによるものであったのどうかは確実には分からない(抗体検査などから予測は出来たとしても)。そして、そもそもこのような感染させる力が無い人がPCR検査の陽性者に混じっていても、普通に感染している人と見分ける事は出来ない。

 上記のような少数の例外はあったとしても見分ける術も無いし、現在の流行の程度などから考えてPCR陽性ならば感染とみなして実務上は問題なく、そうするべきなのは自明だ。

 さて、このPCR陽性者と感染者は同義ではないとする言葉の上では正しい事が、なぜに首長の発言としては危険なのかと言うと、この論法はコロナはただの風邪だと唱える人達によりPCR陽性者の大半は感染者ではないという読み替えで陰謀論的に喧伝されてきたことだからだ。彼らの理屈ではすでに日本ではコロナは蔓延したあとで、集団免疫は成立しておりもう問題が無いとするのだが、各地の抗体検査の極めて低い陽性率はこの説に何の根拠も無いことを示している。また、コロナ流行前に不自然な老人の大量死も観測されていない。こういうと彼らは日本人には自然免疫があってコロナは脅威ではないと反論してくるのだが、優秀な大和民族のみが保有するというその自然免疫の存在を客観的に示す証拠も無い。

 PCR陽性者に対する行政の実務上の扱いに変わりがあってはいけないにも関わらずあえてその長がこうした陰謀論をサポートするような発言をするのは危険だ。無根拠な安心感は行動の奔逸を招き結果としてさらなる悲劇が訪れるだろう。何よりも、行政のトップがこのような陰謀論まがいの言説に乗っかるのは末期のトランプ大統領を見るかのような恐ろしさがある。異論もあるだろうが、トランプ大統領も調子が良い時はそれなりに良い政策の実施もあったが、自分の負けを認められずに猜疑心と陰謀論にとりつかれてからは見るも無惨な状態だった。吉村知事おいても相当なストレスに暴露されているかとは思うが、正気を保ってほしいと切に願う。

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