COVID-19流行期のビハーラ

 このブログのタイトルにもなっているビハーラという言葉は、現代の日本では主に仏教的な終末期医療を意味します。ビハーラという言葉は元々は寺院や精舎のサンスクリット語で休息の場を原義とします。インドでの初期仏教の時代、僧侶は托鉢しながら修行をしていましたが夏の雨季にあっては寺院にこもって修行しており、この風習が禅宗の夏安居として今にも伝わっています。現代日本でのビハーラはホスピス同様に死の床に臨む人達にやすらぎを与えるのがその目的ですが、広く仏教的理念を持つ医療や介護でもビハーラという単語は使われます。

 さて、そんなビハーラですが、新型コロナウイルス感染の拡大により、日本国内の殆どの病院や施設は面会禁止ないしは制限が行われるようになりました。医療介護者のマスク着用も必須となりました。患者様に対して優しい表情と思いやりのある言葉で語るという仏教でいうところの和顔愛語も、表情を隠されマスク越しでは耳の遠くなった高齢者の方々には聞き取りにくいという問題もありますがやむを得ません。

 こうしたやりにくい状況でも人は日々死んでいきます。それは本人や家族が死ぬときにはこうありたいという物とは違うことも増えてきているのです。制限の中にあってもネットの発達で擬似的な面会なども可能にはなっていますが、COVID-19の流行に伴う対応で増えた負担から病院や施設のマンパワー不足も悪化してきており、自由に面会可能だった頃と比べると不便です。

 医療介護従事者としては可能な範囲で工夫して対応していくしかありませんが、こういう状況になってくると、病気や怪我を負う前に日頃から家族や友人などに自分の思いをしっかり伝えておくことの大切さを思い知らされます。

 今ありがたいと思ったことはすぐに相手に伝えましょう。今すまないと思ったことはすぐに相手に謝りましょう。今を逃せばそれを伝えられなくなることもあるのですから、なるべく悔いの残らない生活様式が大切なのです。

 今は非常事態ですが、そうでなくても人は生まれた以上は確実に死ぬのです。ビハーラの精神を広く人生全般に広げていくことが、よりよい死を迎える一助になると信じます。死に臨む人に親切にするのは、自分も他人も大切することに繋がります。良い死を迎える事が出来た人は良い生を全うしたと言えます。あなたやあなたの大切な人がより良く生きるために、死ぬ運命にある人にやさしくするビハーラの心はきっと役立つでしょう。

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