感謝の念

 人間は他の力なしには生きていけません。毎日いただく食事も他の動物や植物の命をいただいていますし、空気や大地がなければどうしようもありません。自分の力だけで何かをしているというのは思い上がりです。勤め人は会社を支える多くの人達により仕事が出来ています。一人で作業をしているように見える芸術家でも創作に使う道具を作る人や作品を買ってくれる人達とは無関係ではいられません。人は関係性の中に生存しており、その考えもまたお互いに影響を与えあっています。関係性の中にしかいない我という存在は確固たるものでは無く全ては移ろい行くという考えは仏教の基本ですが、その関係性は世界の全てにつながっており、世界に感謝を捧げることは自分への執着を取り除くためにも有効です。

 だまされたと思って世界中の全てに感謝してみましょう。世界の事を思い浮かべると、どうしても許せない人や考えも多くみつかるかと思います。そんな物事を思い浮かべる時は、まず自分が存在しないとしてもそれらは許せないものなのか考えてみましょう。自分が存在しなければ許せるものならば、その許せないは自分への執着から生まれたものです。自分の存在の有無に関わらず許してはならない道義的に悪い物事ならば、その物事が善いものに変わるように祈りましょう。そして我が身を振り返れば道義的な悪は必ず自分の中にもあります。悪は悪として止めるとしても、考える機会となってくれた事には感謝しましょう。許さなくても感謝は出来ます。

 止めるべき悪が理解できなければ善もまたありません。自分も含めて悪い人の幸せとは悪を成就することではなく、悪から解放されることです。世界への感謝は、全ての人が幸せであるようにと祈るきっかけにもなります。全ての人の中にはもちろん自分も含まれます。世界に自利利他の精神が広がりますように。南無三宝。

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