失敗恐怖症社会

 自分が若い頃の話をしだすのは老害化の始まりであり、また時代の雰囲気とは徐々に変わるものだ。だから有史以来、老人が最近の若い者はなどと口うるさいのは自然なことだし、そういう世代間の意見の違いや対立が新たな発展を生み出す機会にもなるのだと思う。そんな訳で今日は昔語りなどを少々。

 自分が若い頃は何にも挑戦せずに行動しないことは怠惰だとみなされたものだ。しかし、経験の少ない若者が何かをやっても大体は失敗する。それでも何度でも挑み続けて成功をもぎ取るのが正道とされた。気合いとか根性とかそんな感じだ。しかし、効率的な成功を目指すのなら盲目的に失敗を重ね反省し対策を構築するのではなく、先人の知恵やノウハウを広く共有化した方が目的を達成しやすくなる。目的の達成の為に要求されるものは気合いから効率化へと変化していった。こう言う変化は良いことだった。

 しかし、失敗を減らし効率化が図られた際に、失敗は何があっても絶対に避けるべきだとの考え方が広がっていったようにも思える。確かに失敗は少ない方がいいのだが、未知の分野の研究開発では上手くいくことの方が少ないものだ。失敗を絶対に避けるという傾向は新しく野心的な発明や発見を目指しにくくなる事でもある。これは研究分野だけでなく色んな仕事での新しい試みや、起業、結婚などあらゆる物にゼロリスクを求めていては何も出来なくなる。

 またゼロリスクを希求するあまり、簡単な事しかしなくなった人達の行動力や判断力は著しく低下している。これはデマや陰謀論に踊らされる人が増えた事にも影響を与えているかも知れない。

 売れる子供向けの小説やマンガも昔は努力で苦難に立ち向かっていく物が多かったが、近頃ははじめから圧倒的に強い主人公が敵を蹂躙し人気者になるようなものが目立つ。少なくとも去年大ヒットした努力を重視する物語である鬼滅の刃が新鮮に感じる程にはこの傾向はある。ただこの作品が売れたと言う事は旧来の価値観もそこまで廃れていないのかも知れない。

 ともあれ努力とか失敗を積み重ねてしか得られないものも多い。特に若い人達には命に関わるもの以外なら挑戦する心を忘れないで欲しいと思う。実際にデキる若者は挑戦してるし失敗も恐れておらず経験として糧としている。しかし最近では、十分な才能がありながら自己評価が恐ろしく低い若者も多く実に勿体ない。現在の弱者搾取社会で大人しくしているのは座して死を待つのと同義なんだし何かしよーぜ。

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