企業や研究者の倫理

 学校だけではなく職場においても後進の教育は重要です。とくに、企業や研究者の倫理規定が邪魔な拘束ではなくその理念を実現するための規則であると知るためには、経験と教育がかかせません。理念も倫理も無い企業や研究者は反社会的勢力と変わりありません。

 規律の無い自由な研究や医療は人体実験や移植臓器目当ての殺人をも肯定するものであり、独裁国ではよく見られます。独裁者に倫理規定や理念が無く自由に欲望のままに配下に指示できるからです。

 企業に強い倫理的拘束があるのは強大な力を持つ法人が自らを律し、社会に貢献する企業理念を実現する為です。民主主義国の憲法と同じです。

 もちろん、倫理的に何が正しいのかは時代や地域によって違います。旧約聖書の昔では客人を守るために自分の妻や娘を暴徒の慰み者として提供することが倫理的に正しかったわけですが、現代においてそんなことをする人がいたら非難轟々でしょう。倫理規定は時代に応じて変わる必要もあるのです。

 ただし、倫理規定の変更はあくまでも倫理的目的を達成するための変更であるべきで、利益を得るのに邪魔だから変更するような事があってはなりません。

 近年では研究者に関しては毎年の倫理講習が義務付けられておりいくらか状況は改善されていますが、倫理を軽視する企業はいまだにあるように見られます。規律なき自由は地獄を招くのみです。学校や企業でもしっかりとした倫理教育が望まれます。

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