あなたを知っている人と同じ数だけあなたはいる
あなたは自分をどんな人間だと思っているだろうか?あなたが自分についてどんな認識をしていたとしても、その人物像は他の人が思い描くあなたとは違う。あなたの知人と同じ数だけあなたはいるし、あなたを直接知らない人もあなたの業績や民族や性別や年齢や職業などなどで勝手に各人のイメージであなたを捉えているものだ。
自分自身も含めてあなたを知っている人の数だけ存在しているあなたと言う人間像のうちどれが正しいという事は無く、強いて言うならどれも間違っている。固定された人間像というもの自体が存在しないからだ。しかし、各人が持つお互いの人間像にあまり差がなければ利害の対立はあったとしても円滑な対話が可能となる。だが世の中はそうでないこともしばしばだ。
そんな人間だとは思わなかったなどという怒りは、本来はそう言って怒る人の思い込みが壊れた事に対するものであるのに、多くは他人にその怒りを向けている。そもそも固定された確固たる人の心は存在しないのだから仮に本当に変わったのだとしても仕方の無い事でもある。
だから他者へ対する怒りは意味がない。現象として非道なことをする人間に対しては怒らずに粛々と制圧すればいいだけだ。人が自分に良くしてくれた時には感謝すればよい。そうで無い時に怒ってはいけない。
これは人間だけでなく、組織や国などに対しても同様だが、あまりにも各自のイメージがバラバラだと実務上困るので、会社には建前でも企業理念があり、国家にも憲法などでその理念が文章化されている。だから、組織や国においては組織像や国家像に対する逸脱が厳しく非難されるのだ。似ているようで同列では無い。
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