インドネシア大虐殺 その2
昨日からの続きです。
前回、1965年9月30日にインドネシア陸軍の将官6名(将校7名)が共産党の影響があったと見られる大統領親衛隊に殺害された事からはじまったインドネシア内の大量虐殺事件について話しましたが、今回はこの事件の海外での取り扱いについてみていきます。
まず、インドネシア共産党の最大支援国だった中国です。なんと毛沢東はこの虐殺事件を歓迎します。これによりインドネシア共産党が生温い考えを捨て山岳ゲリラ戦を開始するだろうと考えたのです。中国ではインドネシア人亡命者に軍事訓練などを施しますが、その環境は劣悪で、しかも後年、中国が西側諸国と和解すると捨てられてしまいます。また、9.30事件以降インドネシア国内で迫害の対象となっていた華僑らも引き受けましたが、インドネシアに残留した華僑に対する同化政策(漢風の名前や中国語や宗教・文化の禁止)には強い抗議もしていません。文化大革命前後の混乱でそれどころでは無かったのでしょうが冷淡なものです。
当時最大の共産国だったソ連も中国の攻撃的な姿勢は好ましからざるものとみなしており、中国にのせられて失敗したインドネシア共産党には冷淡でした。ソ連はインドネシアとの経済的な繋がりも強く、それを保つため人道的な問題も無視されたのです。
米英などの西側諸国はどうでしょうか?こちらも共産党が壊滅するなら万事よしと無辜の市民が大量虐殺されるのを黙認し、寧ろ共産主義の危険性を積極的に宣伝し不安を煽って虐殺を促進していました。
日本はと言うと一部では批判の声もあがりましたが小さいものでした。ポル・ポトの批判すら大した事はありませんでしたがそれ以下です。一方でベトナム戦争に関する批判は社会現象となっていた事を考えると要はアメリカに直接的な責任が無い問題なんてどうでもいいようです。日本の人権派の大半は人権なんてどうでも良くて大嫌いなアメリカを批判するためのネタを探しているだけなのですから仕方ありません。アメリカへの打撃に役に立たない人命など彼らの中では無価値なのです。また、政府としてもソ連と同様の経済的な理由であまり批判しませんでした。インドネシアは資源が豊富で人口も多い東南アジアの大国です。戦後日本の経済発展にインドネシアは大きな寄与をしましたが、それは殺された多くの人の上に立っている事を忘れてはなりません。
インドネシア大虐殺は共産主義者をターゲットにしたものですが、その被害者の多くは確固たる主義者では無く恐怖心や不安や打算から殺されました。また、共産主義が合法か違法かは国ごとに違いますが、もちろん共産主義者だからと言う理由だけで裁判も無く殺されるような事はあってはなりません。しかも、虐殺がはじまった時点ではインドネシアでは共産党は合法の政権の一翼を担う政党だったのですからなおさらです。
こうした思い込みや煽動で多くの一般人が殺される事件は記憶に新しいものだけでもルワンダ虐殺やボスニア戦争など世界中でありましたし、これからも起きるでしょう。しかし、こうした悲劇をなるべく少なくするためにも、これらの事件がどうやって起きたのかを広く長く伝えていく必要があります。
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